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A Change of Seasons / DREAM THEATER

  スタジオヴァージョンで23分09秒、ライヴ(Scenes from New York, Disc3)で24分34秒というモンスターチューン。これをドラマと呼ばずして何としよう。しかも23分の中でジャミングがあったり、インプロヴィゼーションによるインタープレイがあったりということもなし。ダレるとか、退屈なパートも一切なし。すべて5人による緻密なフォーメーションによる計算され尽くしたあざとい演出と、アレンジの妙にごまかされない叙情的なメロディの紡ぎ合い。この曲には5曲分どころか10曲分、いや20曲分のアイデアが封入されています。短い曲で小出しにしてアルバムを作っていけば10年くらいこれで食えるものを、1曲に詰め込んじゃって、しかもこれがマキシシングル?無限の才能があることの余裕です。決して立ち止まることなく、現状に満足することなく、常に前に向かって突き進んでいくバンドだとつくづく思い知らされます。怖いくらいのタレントです。
 パートを小出しにしてライヴでは演奏していたのを、まるごとライヴで公式に演奏したScenes from New YorkのDVDでは、この不世出の超絶技巧集団の偉大さを改めて思い知らされずにはいられません。でも、やはりこの曲がアーティストのマスターベーションに終らず、オーディエンスの心に残り続けていくのは、そこに歴然とした『歌』があるからです。歌メロの美しさと、高音域になるにつれてどんどんと扇情的になる叙情性豊かなジェイムズのヴォーカルがあってこそのドラマです。それぞれの楽器がそれぞれ主役を張っていいのに、あくまでもジェイムズをフロントマンとして、歌を中心に音楽を伝えることに徹しているところがこの曲の最大の美点です。そういった意味で、ライヴでのそれぞれの楽器が少しずつオカズを入れて演奏する点は色んな意見があるとは思いますが、私的には少し興醒めです。でも、一度フルヴァージョンをライヴで観てみたいものです。
 はっきり言って、この曲をランクさせるために作ったページです。
Keeper of the Seven Keys / HELLOWEEN

 SCORPIONSが築き上げた「もう一つのロック」ジャーマンロックがまるでこの先、より高みに昇ることはないことを暗示するかのように輝かしく聳え立った一瞬です。 あとは、もう現状維持か下っていくしかないというジャーマンロックの未来も悲観的に暗示していさえするような憂いを含んだドラマ性を持った曲です。初めてこの曲を聴いたときは、これは絶対にロブ・ハルフォードが歌っていると思いました。それほど私にはJUDASに聴こえました。
  たぶん、この頃のマイケル・ヴァイカート、マイケル・キスク、カイ・ハンセンは仲が悪かったと思いますが、そうした決して相容れない個性が互いに一歩も退くことなく拮抗して、危ういバランスの上に出来上がった氷のようなきらめきを放っています。
 お約束のアコギからの導入、徐々に盛り上げていって、これぞロブ・ハルフォード型超高音ハードロックヴォーカルの極みとなり、曲は目まぐるしくスピードを変え、展開を変えていきます。その都度現れる素晴らしいキメキメの歌メロ、アグレッションを鋭角的に加速させるギターによるトランジション、ツインリードのベタなハーモニー、そして「俺のことはいい、お前は行け。そして世界を救うのだあ」的なハイライトが訪れ、お約束のイントロと同じアコギのフレーズでエンディング。あまりのベタさにこっぱずかしささえ乗り越えてしまう、完璧な構成で、聴き手のストレスを一気に解消するマジックを持っています。ある意味ヒーリングミュージックかも。
Victim Of Changes / JUDAS PRIEST

 1976年の作品です。JUDAS PRIESTがヘヴィメタルの顔になる以前の作品です。このアルバムをリリースした当時のジューダスはブレイクする見込みもなく、バンドもヘロヘロの状態で、極めて低予算で作成されたものであるというのが定説です。確かにプロダクションは薄っぺらです。
 しかし、このアルバムにはこのVictim Of Changesをはじめとして、The RipperやTyrantなど彼らのキャリアを象徴するアルティメットチューン、そして美しすぎるフレーズをもったギターソロのDreamer Deceiver、その名もEpitaphなどなど、実は彼らのベストアルバムと言える作品になっています。
 その中でもVictim Of Changesは、メタリックでドゥームなリフ、究極のハイトーンヴォーカル、緩急のメリハリの利いた展開、あまりに美しく切ないメロディととその後のヘヴィメタルの方程式を築きあげた名曲中の名曲です。2代目ヴォーカリストだったティム・リッパー・オーエンスもライヴアルバムで「この曲には敢えて紹介はいるまい」という紹介をしているぐらいの代名詞ぶりです。どれだけ時が流れ、時代が変わろうとジューダスのベストチューンはこの曲です。当時のライナーの歌詞カードにははっきりと「聞き取れませんでした」と書かれていました(驚!)
Xanadu / RUSH

 最近はマイク・ポートノイもあまり自分たちのルーツにRUSHが位置づいていることを公言しなくなりましたが、DREAM THEATERのサウンドの奥深く、そしてその基底にRUSHが確立した方法論が厳然と存在していることは誰にも否定できない事実です。デビュー当初のDTは、"RUSH meets METALLICA."などと言われたものです。DTがRUSHから借りてきた要素はたくさんあると思いますが、その最たるものはテクニカル性と、ドラマ性、特に次々とテンポや曲調を変化させて、一曲の中にたくさんのアイデアを封じ込め、まるでクラシックのような大作にする方法論は、きっとこのアルバムあたりからもかなり借りていると思います。
 このXanaduを擁するアルバム"A Farewell to Kings"には、そうした両者に共通したドラマティックな大作が詰まっています。RUSHと言えば、Hemisphereとか、Moving Picturesの方が有名かもしれませんが、彼らの音楽性が最も顕著に表れているのはこのアルバムだと思います。イリュージョンなキーボードのイントロダクションに導かれて、ニール・パートお得意のスペースオペラティックな物語と音楽が進行していきます。目まぐるしく展開を変え、まさに緩急自在、しかもまぎれもなくロックンロールしていて、グランドフィナーレではまさにチャイコフスキーの交響曲のようにど派手に大団円をむかえます。その重厚で複雑な音をわずか3人のピースで完璧に再現できることは彼らのライヴマスターピースが見事に証明しているところ。キーボードを上手く使い、巧みでドラマティックな演出とそれぞれのインストゥルメントの完璧なアンサンブルとそれを支えるテクニック、キャッチーなギターソロ、そして聴く者を引き込む歌メロと壮絶なエンディングと、ドラマをプロデュースする方程式を確立した名曲です。この曲がなければBest1の"A Change of Seasons"や"Metropolis"もなかったかもしれません。

Song For America / KANSAS


 他のコラムで、KANSASは世間で言われるほどプログレッシヴでもなく、結構泥臭いアメリカの土の匂いのするバンドだ、みたいなことを書いたことがあるような気がしますが、確かにそういう側面もカンサスのオリジナリティを体現するものではありますが、このアルバムに関して言えば、KANSASはまぎれもなく、唯一無二の特異性を備えた、アメリカン・プログレ・ハードの称号にふさわしいバンドと言えます。
  このバンドの強みは、バンドのメンバーだけでこのプログレッシヴ(この場合は=シンフォニックと言ってもいいでしょう)なサウンドが再現できてしまうということです。シンフォニックなサウンドにしようとするとストリングスを連れてきたり、SEを多用したりということになりますが、このバンドにはパーマネントメンバーにヴァイオリン奏者がいるおかげで、スティーヴ・ウォルシュの荘厳なキーボードと相まって常にシンフォニック状態を維持できます。また、このヴァイオリンが時として曲調によってはフォーク調のフィドルのように聞こえ、それが牧歌的な雰囲気をかもし出して土の匂いを演出したりします。
 この曲は、彼らがアメリカにあってよりシンフォニックでプログレッシヴでテクニカルなハードロックという新しい音楽を築き上げるのに成功した重要な一端を担う曲です。ロビー・スタインハートの万華鏡のようなヴァイオリンを前面に押し出し、曲はくるくると速さや拍子を変え、スティーヴ・ウォルシュは首筋立てて歌い上げます。まさにKANSAS型ドラマ構築の方程式が確立されています。この方程式は後のミュージシャン、もちろんDREAM THEATERにも影響を与えています。また、なんとイングヴェイにも影響を与えているということです(InsprirationアルバムでCarry On My Wayward Sonをカバーしています。あっ、カバーって言っちゃいけないんだ)。

Stargazer / RAINBOW


 2010年5月16日、偉大なるロックレジェンドが永遠の眠りにつきました。ロニー・ジェイムズ・ディオ。享年67歳。レインボーでリッチー・ブラックモアとともにハードロックを完成させ、その後ブラック・サバス、DIO、Heaven & Hellとまさにハードロックの王道中の王道、メインストリームのど真ん中を走り続けた、ハードロックの校長先生。
 私はスコーピオンズのクラウス・マイネが世界一のロックシンガーだと思っていますし、このサイトでも書いていますが、じゃあロニーは何番目だ?ということではないんです。ロニーの前では一番とか、二番とかそんなことを論じることすら意味をなさない愚かな行為なのです。別格なのです。まさにカリスマ。小さな体、決してかっこよくはないステージパフォーマンス、いくつになっても衰えないその歌唱、他の追随をまったく許さないワン&オンリーとはまさにこういう人のことを言うのです。つまり、こういう人がいなくなるということは、この地位が永遠に空位になるということです。
 ロニーを語る上で外すことができない曲はあまた存在しますが、数々の感動的なドラマを届けてくれたロニーと、すでにこの世を去って久しいコージー・パウェルに敬意と感謝の気持ちをこめて、Stargazerをここに挙げます。あまりにかっこいいコージーのドラミングに導かれ、鳥肌もののハイハットのカウントを経て、壮大なスケール感を醸し出して曲は始まります。ゆったりしたテンポと神々しいまでのロニーの歌唱、アラブ調の旋律も交えてどんどん加速するリッチーのギター、後半に行くにしたがって恐ろしいまでにドラマチックになり、すべての楽器と歌唱がすべての生きとし生けるものに福音を与えるように鳴り響いて終わっていきます。
 ロニーの声は限りなく若々しく、聴く者に生きる喜びを与えます。Long Live Rock And Roll.安らかに眠らず、あちらの世界でも歌いまくってくれ!

Chance / SAVATAGE

  アメリカンへヴィメタルの中にあって今ひとつ地味な印象が否めないこのバンド。ストーリーテリング性では群を抜いています。一枚のアルバムで完璧なストーリーを展開します。それも結構泣かせる題材を取り上げます。ポール・オニールというプロデューサーが素晴らしい物語をどこからともなく引っ張ってきます。それが講じてとうとうへヴィメタルの枠を飛び越えてトランスシべリアンオーケストラというプロジェクトまで作ってオペラ歌手に歌わせたり、ミュージカル仕立てにしたりしたツアーを精力的に行っています。
 そしてこのバンドで忘れてならないのはギター職人アル・ピトレリが在籍していたということ。アルは実に引き出しの多いギタリストです。私はアメリカでメガデスのギタリストとしてのクールでワイルドなアルと、トランスシベリアンオーケストラのギタリストとしての、タキシードびしっと着こなした好青年なアルをわずか1ヶ月ぐらいの間に両方を観ましたが、どちらも完璧に演じきっていました。そういうなりふり構わないところがアルの真骨頂なのです。それも、上手いからなせる業で、ブルーズから超絶音速速弾までなんでもこなせるギタリストです。
 この曲は、へヴィメタルのヘヴィなリフのパートから入り、途中アルの素晴らしく美しいリフを経て、だんだんと曲調が変わっていって中盤から多重ヴォーカルというか、輪唱のようなコーラスパートになり、徐々にエモーションを盛り上げていって神々しくさえあるハーモニーが聴き手の感情フィルターを刺激するケミストリを持っています。これだけ叙情的な曲が書けるんだから、あえてヘヴィでワイルドなロックチューンに収斂することなく、この路線でアルバム全体を作ってしまえばいいのに、とさえ思わせます。でも、やはり最後はアメリカの破けたジーンズが似合うロックバンドでありたいようです。
The Name of the Rose / TEN

 まさに無意味に大仰で、無駄にドラマティックなこの名曲を忘れておりました。「完全無欠の名曲」と呼ばれていた時期もありました。極めて音域の狭いんだけど、奇跡的にキャッチーでフックに富んだ歌メロ、高音部がほとんどないので、全く煮え切らないヴォーカル、テクニカルかつメロディックなんだけとイマイチ人畜無害なギターソロ、これらの要素を、無駄に緩急をつけた展開と荘厳なクワイヤ、SEでくるんだ、絢爛豪華、バリバリ厚塗りの大作がいっちょあがりってなもんです。人間の人間的な部分、正直でありたい、そして見栄も張りたいという極めて人間的な楽曲に仕上がっています(どんな褒め方やねん)。ただ、このページの趣旨にはばっちり合っています。煮え切らないゲーリー・ヒューズのヴォーカルもよく言えばジョン・ウェットン的ですーっと心に入ってくる魅力を持っています。癒し系といってもいいでしょう。
 ただ、このバンド、この方法論に味をしめてこればっかりやってたら飽きられてしまいました(爆)。現在はヴィニー・バーンズが抜け、その後もメンバーチェンジがあり、ゲーリーのワンマンバンドになってそこそこやってるみたいです。もっとも、日本がメイン・マーケットなんだろうけど。
La Sagrada Familia / The ALAN PARSONS PROJECT

 この曲を初めて聴いたときはぶったまげました。なにせ、それまでアントニオ・ガウディなんていう建築家の名前すらよくわからなかったのに、にわかガウディ博士みたいになってしまうぐらい衝撃を受けました。そして、そこで歌われている最も有名な建築、『聖家族教会』=La Sagrada Familiaのもつ建築デザインの特異性と、百年たっても完成しない、ガウディの死後も現在進行形で建築が続いているというデスティニー、それに加えて音の魔術師アラン・パーソンズのあまりにあざといドラマチックな演出、歌い上げるヴォーカル、スペインらしいフラメンコ調アレンジ、そして最高に盛り上げて唐突に終わるエンディングに、完全にノックアウトされてしまったのでした。そして気がつけば新婚旅行は迷わずバルセロナ、ガウディ建築巡りとなったのでした(汗)。
 La Sagrada Familiaの中で聴くLa Sagrada Familia、最高でした。すっかり忘れてた(自爆)。
    
 

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